2011年04月19日

【第2回】音楽の礎、そして苦悩の年。

第2回目となる今回は、年を遡ること2006年。松本卓也が代表を務めるレインカラーズが設立された年、そして活動の拠点を木更津市から千葉市へと移して活動がいよいよ本格化を迎える年です。

松本卓也は、これまで生まれ故郷である千葉県木更津市に活動拠点を置いて活動を続けていましたが、松本卓也の強い意向で千葉市へと拠点を移すことになりました。そして、それまで任意団体でしかなかったレインカラーズを本格的に設立し、今日に至るのですが、その礎となったのが2006年なのです。松本卓也の活動の大きな転換点を迎えました。

写真は、千葉市中央区にある中央公園にてライブをする松本卓也。この頃、夏季限定で公園内に設置されていた「UNIVERSAL CAFE」という店舗の軒先で、コンサートをしていました。軒先とはいえ、一般の公園。しかし、カフェ利用者をはじめ、公園に遊びに来ていた人、通行人など、たくさんのオーディエンスを掴み、また千葉市の中心市街地で定期的にコンサートをしていたために、各界の多くの人と縁を結ぶことになりました。

松本卓也の活動は、千葉市に拠点を移した2006年から徐々に本格化して行きました。

ところが、順調に見えた矢先、松本卓也に悲劇が訪れます。それは、愛する父親の病気でした。当時、コンサートを運営するスタッフも少なかった時代だったため、松本卓也の父親と数少ないスタッフでコンサートの準備をしていました。重たいスピーカーなどを車で運搬し、そして降ろす作業は松本卓也と二人三脚だったのです。今でこそ、コンサートの開催時にはイベントの運営スタッフがいて準備を行うまでになりましたが、長い間、松本卓也は指などの負傷に細心の注意を払いながら、準備をしていたのです。

そんな健康そのものだった父親が突如として体調不良を訴え、入院。病名は「膀胱癌」でした。しかも、病状はかなり深刻で、ほとんど末期という状態でした。

無論、純粋に人手が足りず運営が困難になるという物理的な課題に留まらず、当時の松本卓也を精神的にかなり追い詰める事態でした。

にもかかわらず、松本卓也は何があってもステージでは私情を挟まずにいるスタンスを貫き通していました。若干20歳そこそこの若者にとって、それは苦しい時間であったに違いありません。

松本卓也は後に「あの出来事が遭って以来、人間の生命というものについて、音楽の中でもっと表現したいと考えるようになった」と語っています。

その後、父親は手術を受けて回復し、現在まで松本卓也の活躍を見守っています。我々スタッフにも、時折打ち上げの席等で「僕は両親に家を買いたいんだ。だって、今の家は、古くて寒いから、体を壊すでしょ。」と抱負を語っているのです。
Posted by RainColors at 11:27
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RainColors
松本卓也が大切に歩んで来た一歩一歩を、不定期的に更新して行きたいと思います。
きっと、ファンの皆様も「ああ、懐かしいな」とか、
「こんなことがあったなんて知らなかった!」と喜んでいただけると思います。
ぜひ、ごゆっくりと“松本卓也の軌跡”を御堪能下さい。